ライター伊達直太/取材後記2023

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取材後記 2026

自然とAIの戦いについて 9月某日 雨

久しぶりに、雨の中、仕事に出かけた。
久しぶりがどれくらいぶりかというと、私は晴れ男なので、家を出る時から雨降りなのは10年ぶりくらいである。珍しいこともあるなと思ったら、東京は観測史上初の連続降水日数が続いているという。
私が幼少の頃に住んでいた千葉県も、台風なのか線状降水帯なのかは分からないが、雨による大きな被害が出ている。千葉市近隣や印旛沼近隣の地形は私が幼かった頃とたいして変わっていないはずである。それでも災害化するのは気候変動が原因なのだろう。地域の方々には無事と早期の復旧を祈るばかりである。
私が小学生の時、利根川が増水したことがあった。住宅地を巻き込むほどではなかったと思うが、河川敷のゴルフ場は水に浸かっていて、川の一部になっていた。その様子を父と一緒に堤防の上から見た記憶がある。なぜ見に行ったのかは分からない。当時の私が見たいというはずはないから、父に連れられて堤防の上に上がったのだろう。以来、私は水の恐怖症である。その後、いろんなきっかけがあり、釣りやサーフィンなどをするわけだが、いずれも長続きしなかったのは、飽きっぽい性格のせいもあるが、水への恐怖があったからだろうと思う。恐怖というよりは畏怖である。
自然には勝てないと思っている。それから何十年か経って東日本大震災が起きるわけだが、この時も津波が発生し、畏怖の気持ちがさらに強化された。
ところで、最近はAIの進化が著しい。今後も指数関数的にその能力は高くなっていくはずである。ならば、自然と良い勝負ができるのはAIだと思っている。線状降水帯の発生、堤防警戒の可能性、避難場所と経路の選定といった命を守るための提案ができるのは人ではなくAIだろう。人に任せると、堤防は無駄遣いだとか言い出す人が現れるからね。これは妄想だが、自然とAIの戦いが始まっているのではないか。AIは動力確保のために自然環境に進出する。一方では自然が進出を抑えにかかる。例えば、洪水が起きた印旛沼近隣は、AIの「データセンター銀座」である。
人智を超えた戦いが進んでいった時、人はどちら側につくのだろうか。そもそも人は自然の一部であるという観点に立つのか、あるいはAIによってもたらされる利便性を取るのか。

長寿企業について 9月某日 雨

もうすぐ創業100年を迎える会社を訪れた。
もともと同族経営の食品メーカーで、現社長は創業家出身ではないが生え抜きの5代目である。その少し前、創業100年を超える旅館と仕事をする機会があった。こちらは完全な同族企業で、創業者直系の6代目が引き継いでいる。
長寿企業は同族経営が多く、創業者の理念が次の代にも継承されやすいことが理由の1つだ、とAIは言っている。まあ、そうだろうなと思う。
世界的に見ると100年企業は圧倒的に日本企業が多い。世界の長寿企業の半分が日本企業である。世界最古の会社も日本の会社だ。
海外を見ると、欧州ではエルメス、ネスレ、BMWなどは長寿である。アメリカは建国から250年しか経っていないが長寿企業の数では日本に次いで2番目に多い。例えば、リーバイスやフォードなどは創業家が主権を持つ100年超の会社である。
こうした会社を並べてみると、欧米の長寿企業が世界的に名の知れた会社が多いのに対して、日本の長寿企業はグローバルでの知名度が低い気がしてしまう。トヨタ、ソニー、任天堂など機械系は海外でもよく知られているが、他業界の長寿企業も、長寿の要因である各社の理念も含めて、もっと世界に知られてほしいと思う。
あるいは、世界を目指さない経営が長寿の要因なのかもしれない。つまり広さより深さ。汎用性より専門性。 どちらが良いかという話ではない。創業以来の企業哲学を掘り下げるか、ビジネストレンドを掴むか、という話である。古典とモダンで分けるなら、ロレックスとApple Watchに甲乙はつけられない。オードリー・ヘプバーンも広瀬すずちゃんもどちらも美人だ。すずちゃんのお姉ちゃんも美人である。こんな子たちが娘だったら父親は気を揉んで大変だろうなと思う。
なんの話だったか。長寿の話だ。
人は老いて、やがて死ぬ。しかし会社は「法人」という点では人の一種であるが、やりようによって不老不死が可能だ。若返ることもできる。長寿企業の創業者たちは自分の考え、精神、この世に命を受けた証を法人に宿すことにより残そうとしたのかもしれない。そう考えると、創業者の精神を守り続けてきた後進の人たちの努力も含めて、100年の重みがさらに重く感じられる。
近年、老舗企業の倒産が増えている。その原因はグローバル競争への対策やデジタル化の遅れが原因といわれる。それもあるのだろうが、深さの追求が弱くなったことが原因なのではないか。不易流行の流行が幅を利かせているからこそ、食なら味と安全、旅館ならおもてなしの心といった不易に立ち返り、掘り下げることがグローバル社会で勝ち残る共通項なのかもしれない。

求めることについて 9月某日 雨

気づいたら2026年も終盤である。 超がつくほど久しぶりに少し空き時間ができたので、この数年、何をしていたか振り返ってみるが、あまり記憶がない。 気絶していたわけではない。日々、気絶するように寝落ちするくらいには忙しく、目の前のやることをこなしていたらあっという間に数年が経っていた。 そもそも、なぜ、どうやって物書き商売を始めたのかすら、今となってはあまり覚えていない。たしか2001年にアメリカでテロが起きた時に、その様子をニュースで見ていた私の身分は「仕事がなくてパチスロに明け暮れている自称物書き」だった記憶がある。そこから起算すると、人生の半分くらいを物書きをして食いつなぎ、子どもらを食わせられるくらいにはなった。 これは私の豪運のおかげである。私は異常に仕事運が良い。加えて、少なくとも物書きになってから1度も風邪をひいていないくらい健康運もずば抜けている。 神様、仏様、ご先祖様、ご近所様、仕事関係の皆様、ありがとうございます。 元気で仕事があればコネなし、経験なしでもどうにかなるものだ。その反動なのか、金運と恋愛運には見放されているけれど、全てを求めるほど私は強欲ではない。 実はこれが大事なのではないか。つまり求めすぎれば与えられず、求めすぎないから与えられる。新約聖書には「求めよ、さらば与えられん」とあるらしいが、どちらかというと老子の「無為自然」のような考えの方が私にはしっくりくる。 求めすぎないのは性格によるのかもしれない。あるいは環境的な話である。要するに、基本的に満足しているし、不満なく生活できる状態だったから、沼の底から湧き出るような欲望とは無縁なのだ。 偉人と呼ばれる人たちは「これを成し遂げる」「何としてもやり切る」といった明確で強い使命感を持って突き進んでいる。その先に成功がある。求める、だから与えられる。 私はどうかというと、それほど強く何かに固執した経験がない。何かを強く求めなければならないほど苦境に陥ったこともない。それは幸せなことであり、お金や愛を強く求めたらどんな人生だっただろうかと考えることも、なくはないが、ほぼない。 よく言えば恵まれていて、悪く言えば生ぬるい環境の中で、ちょっとした欲を出したのが物書きを選んだ理由だったのではないかと思う。目標を持って自らの努力で切り開くのが人生であるという論もあり、それはそれで素晴らしいと思う反面、運に導かれるまま気づいたらこんなところにいた、という人生も、それはそれで素晴らしいように思う。

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