久しぶりに、雨の中、仕事に出かけた。
久しぶりがどれくらいぶりかというと、私は晴れ男なので、家を出る時から雨降りなのは10年ぶりくらいである。珍しいこともあるなと思ったら、東京は観測史上初の連続降水日数が続いているという。 私が幼少の頃に住んでいた千葉県も、台風なのか線状降水帯なのかは分からないが、雨による大きな被害が出ている。千葉市近隣や印旛沼近隣の地形は私が幼かった頃とたいして変わっていないはずである。それでも災害化するのは気候変動が原因なのだろう。地域の方々には無事と早期の復旧を祈るばかりである。 私が小学生の時、利根川が増水したことがあった。住宅地を巻き込むほどではなかったと思うが、河川敷のゴルフ場は水に浸かっていて、川の一部になっていた。その様子を父と一緒に堤防の上から見た記憶がある。なぜ見に行ったのかは分からない。当時の私が見たいというはずはないから、父に連れられて堤防の上に上がったのだろう。以来、私は水の恐怖症である。その後、いろんなきっかけがあり、釣りやサーフィンなどをするわけだが、いずれも長続きしなかったのは、飽きっぽい性格のせいもあるが、水への恐怖があったからだろうと思う。恐怖というよりは畏怖である。 自然には勝てないと思っている。それから何十年か経って東日本大震災が起きるわけだが、この時も津波が発生し、畏怖の気持ちがさらに強化された。 ところで、最近はAIの進化が著しい。今後も指数関数的にその能力は高くなっていくはずである。ならば、自然と良い勝負ができるのはAIだと思っている。線状降水帯の発生、堤防警戒の可能性、避難場所と経路の選定といった命を守るための提案ができるのは人ではなくAIだろう。人に任せると、堤防は無駄遣いだとか言い出す人が現れるからね。これは妄想だが、自然とAIの戦いが始まっているのではないか。AIは動力確保のために自然環境に進出する。一方では自然が進出を抑えにかかる。例えば、洪水が起きた印旛沼近隣は、AIの「データセンター銀座」である。 人智を超えた戦いが進んでいった時、人はどちら側につくのだろうか。そもそも人は自然の一部であるという観点に立つのか、あるいはAIによってもたらされる利便性を取るのか。 |