ライター伊達直太/取材後記2020

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取材後記 2020

記憶について 1月某日 晴れ

たまに電車に乗る。 山手線の車窓から上野の公園側の風景を見ていると、初めてデートらしいデートをした時のことを思い出す。16歳の時だったかな。17歳だったかもしれない。 それ以前も女の子と買い物に行ったり食事をしたりすることはあった。 でも、それはデートとは違う。デート風ではあるのだけど、たまたまその時に相思相愛風だった子と一緒に遊びに出かけるという程度のことである。 上野で待ち合わせたその子はちょっと次元が違った。 片想い歴で5年くらいだ。ティーンエイジの5年はとても長い。人生の全てといっても良いと思う。 どういう経緯で会うことになったかは覚えていないが、上野駅の改札口で再会し、2時間くらいのデートが実現した。 ベンチに座って他愛のない会話をした。どういうわけか、デートらしい計画を何一つ立てていなかった。 そのうちに5年間の純粋な思いとティーンの汚れた思いが混ざり合い、頭は思考停止になり行動は制御不能になり、なんやかんやあって、当然のごとく嫌われた。 以来、その子と会うことはなかったし、駅の外に出る機会もなかった。 車窓から見る限りではよくわからないが、アメ横あたりの雰囲気は変わらないにせよ、上野の景色は全体的に変わっているのだと思う。 町が変わるが思い出は変わらない。 パソコンやスマホの機種が変わっても、保存してあるデータは変わらないのと同じである。 不思議なのは、データ(思い出)そのものは変わっていなくても、見方や感じ方は変わるということである。 上野の思い出は、当時の私にとっては苦々しい記憶だったが、今はどちらかというと好感を持って向き合える。もしかしたら、黒い冬の思い出が青い春の思い出に見えるように、記憶そのものが実は脳内で微妙にデフォルメされているのかもしれない。この脳内処理のことを、おそらく老いと呼ぶ。 センチメンタルな話になってしまった(なってない)。

時短について 1月某日 晴れ

時短が好きだ。 できる限り圧縮して、なんでも短時間で終わらせたい。 その観点から見て、私が大発明だと思うものがいくつかある。 その1つがカップ麺である。ラーメンを食いたいと思った時に、ラーメン屋に行き、注文し、食べ、帰ってくるのは、ほとんど小旅行である。 しかし、カップ麺は3分でできる。10分もあれば食べ終わるし、後片付けも終わる。私は2分で食べ始めて3分経ったころには片付け終わっている。 たまに、出来上がるまで5分かかるカップ麺があるが、うまさも大事ではあるが、カップ麺の真の価値は早さである。 1日3食、3分でできるカップ麺を食べている人は、5分のカップ麺を食うことによって1食2分、1日6分、1年なら半日、10年なら5日失う。 3分のカップ麺も完成形ではない。1分で出来るようになれば、1食2分、1日6分、1年で半日、10年で5日の時間が生まれる。 石の上にも3年というけど、3年を1年にする努力は大事、と誰か偉い人が言っていた。松下幸之助かもしれないが、違うかもしれない。2分浮けば、そんなことも十分に調べられる。 コンビニも素晴らしい発明だ。スーパーとか文具店とか薬局とか銀行などを行脚して回る時間をまとめて短縮できる。グーグル検索は図書館に行ったり辞書を引いたりする時間が短縮できるし、電子レンジは煮たり焼いたりする時間が短縮できる。 今後はリニア新幹線ができて通信は5Gになる。もはや期待しかない。 3分が1分になると2分の時間が生まれるように、時短とはつまり、新たな時間を生み出す創造的な活動である。 昔と比べて人間の寿命は伸びたが、様々な時短の発明によって自由に使える時間も増えている。そう考えると、実質的な寿命は平均寿命の伸び(年数)の中に収まらないくらい伸びている。 長生きを目指す方法としては運動したり食事を工夫する手もあるが、積極的に時短術を導入することもできる。仮に時短によって自由に使える時間を倍にできれば、まったりと生きる100年は、時短で生きる50年と時間的には同じなのだと、運動と食事制限をしたくない私は思っている。

感謝について 1月某日 晴れ

ありがたいことである。 今年も新しい年を迎えることができた。年末と正月であっちへこっちへと親族や友人の顔を見にいってみると、万全とは言わないまでも、みんな元気である。ありがたいことだ。 仕事に関しても、昨年から持ち越した仕事がすでに何本もある。とりあえず引き受けたものも含めて見込みだけで計算してみたら、すでに昨年の収入の8割くらいある。無論、見込みに過ぎないわけだから実際にはこれから物書きしなければならない。ただ、正月の時点で年末の収支がある程度見込めている状態は精神的に楽だ。 それはそうと、今だから言えることなのだが、ここ数年の年末年始はトラブル続きだった。火元は私ではない。私はトラブルを起こさないし、そもそもトラブルを起こすほど他人とも世間とも接点がない。 トラブルというものは、こっちが目配りしていないところからやってきて、勝手に火を放つ。気づいた時にはそれなりに炎上している。私には実害はない炎だから放っておいてもいいのだけど、気づいちゃった以上、私はなんとなく火消し役をしてしまう。私は案外、他人思いのところがあるのだ(←!)。 一方で、私は家庭第一主義(←!!)でもあるので、自分が火消し役で関わっているトラブルのことを家には持ち込まない。火消しの苦労を表情に出すこともない。ここが私の素晴らしいところである。(←!!!) そういうトバッチリを喰らうのがもはや定番になっているかのような気さえしていたのだが、今年は何もなかった。 平穏無事にお正月がやってきた。これもありがたいことだ。 そんなことを思いつつ、正月が明けて何日か経ったときに、ふとカミさんが「今年は平穏ですね」と言った。 要は、家庭には持ち込まず、1人で抱えて処理していたはずの苦悩を、カミさんはわかっていたということである。 私が勝手に苦労を背負い込む一方で、カミさんはその苦労を察し、うまく立ち回ってくれていた。ならば、それも十分にありがたいことだ。 何の話だっけか。そうそう、本年もよろしくお願いします、という挨拶である。

 

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ライター 伊達直太

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