伊達直太/取材後記2007

仕事のご依頼、お待ちしております。ご質問、ご相談もお気軽にどうぞ。

取材後記 2007

アフターサービスで選ぼう 10月某日 晴れ

ある朝突然、車が壊れた事件は前回お伝えした通り。その後日談です。
ディーラーによれば、「ミッションが壊れている」のだとか。車には素人の私も、英語はそれなりにわかります。ミッション———それはつまり「任務」の意味。非常に重要な部位であり、修理費がかさみそうなことは容易に想像できます。
ということで、修理の概算は「50万円」なのだとか。単発の原稿にして25本というところでしょうか。断じて売れっ子ライターではない私にとって、二つ返事で支払える金額ではありません。
しかし、です。
神はおそらく、私の日頃の悪行を見ていなかったのでしょう。どういうわけか、「本社とかけあって、無料で修理させていただきます」という言葉が続いたのです。「タダより怖いものはない」なんて言いますが、これは二つ返事でお願いしなければなりません。50万円がタダになるのなら、理由なんかどうでもいいんです。
みなさん、車はどうやって選んでいますか? 見た目? 乗り心地? 価格?
私はこの度、アフターサービスって大事だなあと感じた次第。壊れないだろうと思っているものほど、壊れるのです。
ちなみに、「アフターサービス」は和製英語なので、外国人相手に使う場合は「カスタマーサービス」が正解。私、メカにはチンプンカンプンですが、英語はそこそこわかるんです。

働くということ 10月某日 晴れ(東京は雨)

シラス、マグロ、次郎長の町、静岡県は清水市に行ってまいりました。お話を聞かせていただいたのは、ここ数年で来場者数を2万人ほど増やしたゴルフ場の支配人です。
特徴的だったのは、その支配人が「ゴルフをしない」ということ。曰く、「ゴルフをしないからこそ、ゴルファーとは違った視点で考えることがある」のだとか。また、経営が好きなのかといえば、どうやらそうでもない様子。それでいて、来場者数を2万人も増やせたのはなぜなのでしょうか?
「仕事」というものについて、養老先生は「目の前の穴を埋める」と表現しています。
好きとか嫌いとか、そういうことは関係なく、上司やお客に言われたことをこなしたり、自らが必要だと思ったことをやったり、そういうことの連続であるということです。
で、支配人です。氏は現在、年365日のうち360日、現場に出て働いているそうです。
目の前の穴を次から次へと埋めた結果が、数年で来場者数を2万人増やすという成果をもたらしたわけですね。
フリーターやニートが増えた昨今、「好きなことを仕事にする」なんてことが、さも美しく、正しいことのように言われるようになりました。しかし、現実社会ではそううまいこといきませんと、支配人のような大人、あるいは、養老先生のような方が教えてあげる必要があるのでしょう。帰路、夕暮れの富士山を横目で眺めながら、そんなことを思ったのでした。

寒い日のアイスクリーム 10月某日 雨(寒い)

外出に際し、ほとんど雨に降られない「晴れ男」の私ですが、この日はあいにくの雨。しかも寒い。取材を終え、おそらく夜8時すぎだったでしょうか、傘をさし、肩をすくめ、駅から家へとトボトボと歩いておりました。秋です。真っ暗です。寒いです。
さて、我が家まであと100メートルほどまで近づいたところで、煌煌と光を放つ、アイスクリーム売りの車を見つけました。ウチの近所には、たまにアイスクリーム売りがやってきます。
「こう寒くちゃ、アイスなんか売れないだろうなあ」
そんなことを思いつつ通り過ぎようとしたのですが……いるんですねえ、アイスを買っている奇特なお客が。ならば、「余計なお世話」と「不必要な好奇心」で動いている私は、その姿を確かめなければなりません。
さて、どんな人だったでしょうか? 今どきのギャル? 塾帰りの子ども?
いやいや、なんと老人夫婦。推定70歳の相合い傘です。
長年連れ添っても、夫婦仲良くアイスクリームを買いに出るなんて、非常に微笑ましい光景です。「年寄りの冷や水」なんてことを言いますが、愛のある2人は、冷たいアイスクリームだって食べちゃいます。気が若い証拠です。
一方で、体は老朽化しますので、足腰などの関節ほか、歯も弱くなります。堅いものが食べづらくなり、だからアイスクリームなのでしょう。
寒い夜にアイスが売れる。ここに、「気は若い、しかし体は老いた」という、高齢化社会独特のアンバランスを見た気がしました。

まさかの故障 10月某日 秋晴れ

たま〜にですが、取材に車で行くことがあります。この日もガレージから愛車を出そうとエンジンをかけました。しかし、ギアを『D』に入れても、怯えて尻込む犬のようにまったく前に進もうとしません。アクセルを踏んでも、ただウンウンと吠えるだけ。
青天の霹靂。まさかのリアクション。突然の故障です。まあ機械ものはみな予告なく壊れるものなのですが、それにしても愛車の具合が心配です。ちょっと腹も立ちます。
幸いにもこの日は電車で用が済んだのですが、さて、直さなければなりません。もちろん、私の手には負えない。なにしろ購入以来、一度もボンネットを開けていないのですからね。また、「誰かを呼ぶ」という方法を思いついたのですが、近所の自動車修理工場に電話すべきなのか、それとも、正規のディーラーを呼ぶべきなのかがわかりません。
そこで、車に詳しいカメラマン(10年来のいい友人)に電話をかけ、助け船のアドバイスを求めました。
こりゃ困った!という時、こういう人に勝る存在はありません。気付けば、私の周りには車に詳しい彼のほかに、パソコンに詳しい編集者さん、ゴルフに詳しい編集者さん、法律関係に明るい友人などがいます。彼らのおかげで、私の日常は滞りなく過ぎ去っています。ネット社会や情報化社会なんてことを言いますが、人からいただく情報には、パソコンの画面で見る情報にはない温度があるのです。
本や雑誌、ウェブサイトを通じて情報を提供する私も、「温度」を意識しなければなりません。虚しくたたずむだけの愛車を眺めつつ、そんなことを感じたのでした。
愛車は間もなくしてトラックで引き取りに来てもらいました。友人のアドバイスに従い、現在、正規ディーラーで修理を受けています。

呼び捨て 10月某日 晴れ

(前回↓のつづき)
横綱とか反則とかかわいがりとか、最近のスポーツ報道が取材の待ち時間でも話題になっているのは前述の通りです。
目立ってスポーツ好きというわけではない私ですが、長年、気になっていることがあります。それは、スポーツ番組のアナウンサーが、選手を「呼び捨て」で報じること。
タレントや経営者が「さん」づけなのに対し、スポーツ選手は「松井のシーズンオフは…」とか「宮里は2アンダーで……」といった具合。ちなみに、ニュース報道では、小学校入学前の子どもは「ちゃん」づけ、小中高生は「くん」「さん」づけ、大学生以上は「さん」や「氏」を使うといった一応のルールがあります。スポーツ報道も、せめて「選手」くらいつけた方が上品だと思うのですが、いかがでしょう?
ある夕食時、そんなことをカミさんに言ってみました。すると、意外なところを指摘されました。
「直太さん、警察官のことを『お巡り』って呼んでない?」
カミさんは私を「さん」づけで呼んでくれる上品な女性です。まあそれは置いといて、確かにそうなのです。私は「お巡りさん」とは言いません。「お巡り」と言います。
本屋さんは本屋と呼び、八百屋さんを八百屋と呼びます。理由は、彼らへの敬意が足りないわけではなく、「八百屋さん」「本屋さん」「お巡りさん」なんてのは、幼稚園児までが使う口調だと信じて疑っていなかったため。それが「呼び捨ては下品である」という己の主張と矛盾することに気がつかなかったのです。
そんなことを考えていると、もうひとつ新たな疑問が出てきました。「KABA.ちゃん」や「なかやまきんに君」など、タレント名に敬称が含まれている人はどう呼べばいいのか。この先取材する機会があったとして、「KABA.ちゃんさんは……」と呼びかけるのはしっくりこないし、「KABA.ちゃんは……」と呼び捨てる勇気もありません。長いこと考えたのですが、結局答えは出ずじまい。夕飯の生姜焼きもすっかり冷めました。

待ち時間 10月某日 晴れ(残暑)

取材というのは、簡単にいえば「質問」をすることです。相手にいろいろな質問をぶつけて答えを聞き出し、それを材料にして原稿を作ります。ですので、「質問する」ことには慣れていますが、実のところ「質問される」ことは慣れていません。艦隊をそろえて攻撃体勢は万端である一方、自国の港は無防備なのです。
さて先日、取材の待ち時間に編集者さんからこんな質問を受けました。
「亀田家について、どう思います?」
空いた時間を埋めるために、日常会話のひとつとして出てきたなにげない質問だったのでしょう。しかし、時はまさに取材開始の数分前。これから脳細胞を総動員して質問攻撃を繰り広げる直前であり、攻め方の最終確認をしていたところ。守備がもっとも手薄な状態にあるライターは、たった一発の小さなミサイルが打ち込まれただけで一気にしどろもどろになるのです。
はたして、なんと答えるのが「正解」なのだろう? そんなことを考え始め、思考はどんどんと乱れていきます。若い子がしたことに、そんなに目くじら立てなくてもいいと思うけど、それは、求められている答えとちがうかもしれない。引き続き、密かに応援しようと思う理由が、「亀田家の拠点が我が家の隣町だから」では不十分かもしれない。
かくして、まともな回答を出す前に自国の港に大パニックになり、前々日から綿密に錬った質問攻撃のプランはどこかへ吹き飛んでしまうわけです。
「攻めは、守りより易し」打たれ続けている大毅くんの心情を察し、また、打たれ弱い己の性格を振り返ってそんなことを思いつつ、とにかく取材が無事終了したことにホッとするのでした。

名刺交換の際に 9月某日 晴れ

取材や打合せなどで会う「初対面の人」は、年間で100人を超えます。ということは、フリーになってから現在までに、600、700人とお会いさせていただいている計算になります。
残念ながら全員の名前を覚えているわけではありません。しかし、「よく気が利く人だなあ」と感じた広報担当者や、「おもしろい人だなあ」と感じた経営者などは、今でも顔と名前が浮かびます。一方には「できぬ人」として記憶している人もいます。
取材の段取りが悪かったり、脱稿後によけいな作業が生じたりして、結果、断じて顔には出さない苛立ちとともに名前や顔を記憶してしまっているわけです。
毎度のごとく「できる人」とだけ仕事をするのは不可能ですが、「こやつはできぬ人かもしれない」ということがあらかじめわかれば、いくらかは助かります。備えあれば憂いなしで、最初から「二度手間、三度手間かけられるかもしれない」という心構えがあれば、精神的な負担は少なくて済むのです。
では、どうやって「できぬ人」を見抜くのか。私はおもに、相手の「爪」を基準にしています。名刺交換の際に相手の爪を見て、汚れていたり、切っていなかったりする場合に、「もしや……?」と警戒するのです。
判断基準としてはほかにも、遅刻するとか寝癖がついているなんてのは問題外ですが、歩くスピードとか、食べるスピードとか、靴の汚れとか、言葉遣い(「ら」ヌキ言葉)などにも着目してみました。が、いまのところ、爪による判断がもっとも信頼性が高いように感じます。ちなみに、「爪が汚い人に仕事ができない人が多い」のであって、「爪がきれいな人は仕事ができる」というわけではありませんが、機会があれば参考にしてみてください。

ハングリー精神コンプレックス 9月某日 晴れ

ある中小企業の社長さんの取材。1人で起業した時代から、従業員100人を雇うようになった現在までの半生を紹介する記事です。
苦労人のインタビューですので、話は終始、苦労話。「片親で貧乏だった」「仕方なく出てきた東京で孤独を感じていた」「外国人と会って萎縮した」といった苦境が「ハングリー精神につながった」と氏は言います。
苦境というのは、それをバネに自らを成功に導く人もいます。しかし、一方には苦境を理由に罪を犯す人もいます。諸刃の剣です。
そこでふと自分の人生を振り返ってみると、平和な家庭に育った典型的な団塊ジュニア世代である私は、お金や食べ物に苦労した経験がありません。まあまあの男前であるため、「モテない」ことがバネになった過去もありません。あらゆる面でハングリーになる必要がなかったわけです。
「苦境がバネになり豊かさを生む」というシナリオは、日本の戦後史や最近の中国を見てもわかります。では、豊かさはなにを生むのでしょうか?
この先10年、20年の日本経済では、おもに団塊ジュニア世代のサラリーマンが主導となります。「苦境知らず」というのは幸せなことではありますが、やはり諸刃の剣で、ハングリー精神が育たないというマイナス面があるのかもしれません。

どっちつかず 9月某日 晴れ

男30歳も過ぎると、「そろそろ係長」とか「やがては課長」とか、「人の上に立つ」ことを意識しなければなりません。
ある雑誌にて、アメリカの雑誌で掲載された「リーダー論」の翻訳を行いました。リーダーは、部下との「人間関係」を重視すべきか、それとも部下の仕事の「結果」を重視すべきか、という内容の記事です。
記事(記者はアメリカ人)によると、人間関係重視タイプのリーダーには、「コンセンサスを重視しすぎて決断が遅い」という傾向があるそうです。一方の結果重視タイプのリーダーには、「結果にとらわれるあまり、部下が本来持っていたはずの才能を枯らす」傾向があるのだとか。
要するに、どちらかを重視せよという話ではなく、その2つのバランス感覚がよく、中間にステイできる人が優れたリーダーである、と記事はそういう結論にいたります。
10年前の日本であれば、「中間がいいんじゃない?」「どっちつかずでいこう」という内容では、記事にならなかったと思います。もともとバランス感覚に優れた日本人読者には、オチとして「あたり前」すぎるからです。しかし、今はこの記事が新鮮な気がします。理由はおそらく、右とか左とか、セレブとかワーキングプアとか、「極」でものごとを語ること、あるいは、なんでも白黒をつけ、白黒でわけるのが流行りだからではないでしょうか。それにしても、「どっちつかず」の利点をアメリカ人の記者に気付かされるとは、ちょっと意外な気がしました。

休日 9月某日 晴れ

みなさん、趣味ってなんですか?
さきほど、総務省のデータをもとに世間の趣味・娯楽を考えるという内容の記事を書き終えたところです。
データによると、私と同じ30代男性の趣味は、参加率が多い順に「テレビゲーム」「遊園地や動物園などの見物」「読書」「カラオケ」「写真撮影」の順。
……ホントですかね?
この中で私がやっているものは、仕事に直結する「読書」をのぞけば、1つもありません。そしてふと、「遊び」に対してどんどん興味を失っている自分に気付き、危機感を覚えたりするわけです。
みなさん、なにして休日を過ごしているんでしょうか? 「これ、おもしろいよ!」という趣味や遊びがありましたら、ぜひとも教えてください。

歩かないと 9月某日 晴れ(残暑)
あるゴルフ場の取材。乗用カーを使わないあるゴルフ場が、「歩いてゴルフをしよう!」というキャンペーンを行い、中高年男性の人気を集めている、という記事です。ゴルフ場は、高級コースほど乗用カーを使っていません。プロのトーナメントなどを見てもわかる通りです。理由は、「ゴルフはもともと歩くスポーツ」であり、「コース内にある人工物(カート道など)は少なくあるべき」だからだそうです。一方で、河川敷などにある安価なカジュアルコースも歩くところが多いんですね。つまり、二極化構造になっていて、価格帯が高いところと低いところに「歩き」が多く、ゴルフ場数が多い中間価格帯は、乗用カーを使ったプレーが主流なのです。
さて、我々もの書きの生活は基本的に家の中。不健康そうに見え、実際に不健康である理由は、歩かない生活にあるのかもしれません。
偶然にも先日、ある編集部長さんから万歩計をいただきました。そこでさっそく計測してみたわけですが、1日、わりと意識的に家の中をウロウロしてみたにも関わらず、出た歩数はわずか2000歩。ちなみに18ホール歩いてラウンドすると、だいたい1万8000歩〜2万歩になるのだそうです。

ゴミ箱を見て思う 8月某日 晴れ(猛暑)

バイオエタノールというものがあります。
私はとくに地球温暖化対策に熱心なわけではありませんが、技術という点で、この関連にものすごく興味があります。それもあって、エタノール関連の取材仕事をたくさんいただきます。
今回は、岐阜県の企業が開発した「ゴルフ場で刈った芝生からバイオエタノールを作る技術」について。芝というのは、トウモロコシやサトウキビとちがってセルロース(繊維)を分解して、糖にするのが難しい。この企業は、芝を効率良く糖化する技術を開発したわけです。
さて、セルロースというのは、世の中のあらゆる植物に含まれています。木くずや紙くずにも含まれている。つまり、ゴルフ場の刈り芝以外にも、エタノールの原料として有望でありながら、気付かれることなく廃棄されているものがあるかもしれません。
ライターという商売は、本や雑誌を読みあさります。メモや原稿チェック用としても大量の紙を消費するため、ゴミ箱には紙くずがいっぱいです。
そこでまっさきに思うのが、「これをエタノールに変えてひと儲けすれば、連夜、大好きなスキヤキを喰える」ということ。
神が、私に科学の叡智を与えなかったこと、あるいは、親が、幼少の私に科学書ではなく文学書を与えたのは、どうやら正しい判断だったようです。

ごちそうさま 8月某日 晴れ(酷暑)

ホテル流のサービス術についての取材。こういう話題では、「ホスピタリティ」とか「おもてなし」なんてことがテーマになります。
ところで、この「おもてなし」ですが、最近では「高級、高品質なサービスを行う」という意味で使われています。つまり、「料金が高いところ=おもてなしレベルが高い」という解釈です。
しかし、そうではないんですね。
昔は、たとえ我が家が貧乏でも、客人が来ればできる限り美味しい食べ物を用意し、夏なら涼しいところに座ってもらい、家にある一番いい布団を使ってもらいました。
お金をかけるかどうかではなく、「できる限りの最高を尽くす」という意識から、おもてなしが生まれていたわけです。
「ごちそう」なんてのも同じで、寿司やスキヤキなど高価なものが「ごちそう」というわけではありません。「ごちそう」は「ご馳走」と書き、「走り回る」ことを意味します。客の食事を用意するために、山、川、海に新鮮な食材をとりに出たり、米屋や酒屋に行ったり、お金が足りなければご近所に頭を下げて借りて回ったり、そういう気概で客をもてなすことに、ごちそうの価値があります。また、こうした気持ちへの感謝として、「ごちそうさま」という言葉が存在します。
アメリカではかつて、最も美しいと感じる単語のアンケートで「mother」が1位になったそうです。「ごちそうさま」という表現はアメリカにはありません。私は個人的に、「ごちそうさま」という言葉、あるいは食後に手を合わせて「ごちそうさま」を言う人の姿が、最も美しいと思っています。

ミニカー遊びから学べること 7月某日 晴れ(猛暑)

某雑誌の記事で、サービス業における飲酒運転防止対策の取材。「運転者には飲ませず、一方では、飲みたいという願望にも応える」という矛盾に、どう取り組むかという内容です。
個人的には「飲酒運転する人は客とみなさない」のがベストだと思いますが、商売ではそうも言っていられません。送迎バスを手配したり、安価な宿泊パックを用意したり、アルコール検知器を準備したり、方法はいろいろとあるようです。
それにしても、「飲んだら運転しない」ということを、なんで守れない人がいるのでしょう。ちなみに甥っ子(3歳)はミニカーが大好き。ガチャガチャとぶつけることもなく、丁寧に畳のふちなんかを滑らせて遊んでいます。こういうところに運転教育の原点があるのかもしれません。アメリカでは、犯罪者に地域の奉仕活動を課すケースがあります。日本でも、飲酒運転には罰金だけでなく、ベビーシッター活動を課したらどうでしょう。園児と混じってミニカーで勉強すれば、いくらか学ぶことがあるかもしれません。

聖地 7月某日 晴れ

大手ゴルフ場の代表取締役が集うパネルディスカッションの取材。低迷するゴルフ場業界の原因、現状、未来を考えるという会です。
その内容は抜粋して雑誌記事になるわけですが、どの社も、今後のターゲットとして団塊世代と若い女性を挙げています。
さて、オジサンと若い女性ってのは、お互いに相容れない関係にあり、お互いを毛嫌いしてきました。
「オジサンは臭い」と女性が言い、「OLどもは使えない」とオジサンが言う。女性がアメリカ人ならオジサンはイスラム原理主義。オジサンがパレスチナなら女性はイスラエル。ゴルフ場は、こうした二者が休戦する聖地になろうとしているわけです。それにしても、団塊や女性をターゲットにする業界が増えていますね。男32歳で、ターゲット層から外されがちな私は、どこにお金を落とせばいいんでしょう。

ひとつ愚痴っていいですか 6月某日 晴れ

某媒体の取材に関して、ある女性編集者と打合せがありました。今までの担当者が変わるということで、新たに担当になったのが彼女。初対面です。
パッと見が若かった(というか頼りなさそうだった)彼女に、「いくつですか?」と聞きました。すると返ってきた言葉が、「ええー、女性に年聞くんですかぁ?」。
どうなんでしょう? 酒の席ならともかく、仮にもこれから一緒に仕事をしようとしている人に対し、年を聞くのは失礼にあたるのでしょうか?
男女問わず、相手の年齢を聞いておくとその人が育った時代とかバックグラウンドとか思想とか、そういうことを推測するヒントになります。それは、新しい企画を考えるヒントにもなるし、興味や思想といった点で、読者との共通項を考えるヒントにもなる。いいわけじゃありませんよ。事実です。ちなみに、私には愛するカミさんがいますので、下心で女性に話かけることもない。必要だから話をする。それだけのことです。<br> 女とか男とか、そういう細かいことにこだわって仕事をするなら、アメリカにでも行って「レディース&ジャントルマンごっこ」でもやってればいいんです。そんなことを思いつつ、雇用における男女平等の時代はまだまだ遠いような気がしました。

国土政策 5月某日 晴れ

沖縄出張へ行ってきました。2年前の今頃にも行きましたが、相変わらず素晴らしい。
ちなみにおすすめレストランは、ブセナテラスのランブルフィッシュです。ぜひお試しを。
レンタカーで移動しながら、ふと気付いたのが中部や北部にかけて別荘や新築マンションが増えたということ。「引退後は沖縄で」という団塊世代を狙うデベロッパーがいるんでしょう。消費が増えれば雇用も市場も変わるでしょうから、この先数年の沖縄は観察しがいがあるというものです。
ただ、物理的な点でみると、ここは長寿の島であり面積も小さい。そのうえ多くが移住してくるとなると人が溢れます。土地も不足します。ならばいっそのこと、日本政府がアメリカから「ハワイを買い取る」という計画はどうでしょう。ハワイがムリならグアムでもサイパンでもいい。
北方領土も大事です。竹島も大事です。これは一歩たりとも譲ってはいけませんが、一方で、アメリカから「200兆円でハワイを買います」という政策の方が、南国好きの日本国民は喜ぶような気がします。

5月某日 晴れ

子供向け商品企画の仕事で、携帯電話メーカーに行ってきました。
今どきは、中学3年生の約半数、小学生でも6年生で2割が携帯電話を持っているのだとか。取材を終えて思ったのが、「みんなが持っているものを持っていない」のは、子供心に辛いということ。そして、「鳴らない携帯を持つ」のはもっと辛いということ。
友達が少ない子が携帯を持っても、かける人も、かけてくる人もいない。やがて「孤独である」という事実と向き合うことになり、寂しさと虚しさで自尊心がおかしくなるのです。幼少期、私は「みんなが持ってるから」という理由でファミコンを所有していました。これが携帯だったら恐ろしいことですよ。ファミコンは1人でも遊べますけど、携帯は相手がいないとどうにもなりませんからね。

ムダ 5月某日 晴れ

amadanaのデザイナー、鄭秀和さんの取材。都内にあるオシャレな事務所にて、「美しいインテリア」について聞かせていただきました。
さて、鄭さんですが、彼は非常に頭がいい。取材の1時間ほどですべてが分かるはずもありませんが、頭の良さを感じた理由は、彼の美しい話し方にあるのだと思いました。
具体的に言えば、ひとつは、ものを良く知っていること。ふたつ目は、自信を持って話すこと。そして、おそらく最も重要なのが、無駄な言葉がないことではないでしょうか。取材のテープ起こしをしていて気付いたのですが、会話の中に「ええと」とか「あのー」とか、躊躇や思考中であることを感じさせる無駄な音がないんですね。
ムダがないものを、我々は美しいと感じます。インテリアしかり、体操選手の動きしかり、贅肉のない体しかり。言葉も同様、美しくあるためにはムダを省かなければなりません。

エコとエゴ 4月某日 晴れ

最近、エコづいてます。
某媒体でバイオエタノールメーカーの取材に行ってきたと思ったら、今度は別雑誌でバイオエタノールエンジンの取材。なんでも、トウモロコシが燃料になるということで、オレンジ農家がトウモロコシ農家に鞍替えしたり、マヨネーズが値上がりしたり、「風が吹いて桶屋が儲かる」ような騒ぎになっています。
それはさておき、「地球を守ろう」的なCMやキャンペーンみたいなものがどうにも気
になります。気になる理由は、「石油を使わないことが地球に優しい」という理屈がおかしいからです。
地球は、内部の石油がなくなろうと、温暖化で水浸しになろうと、それが原因で破滅することはありません。石油の枯渇や地球温暖化で苦しむのは人間。ここを間違えてはいけません。
スローガンを立てるなら、正しくは「人類を守ろう」です。エコバッグを持って「地球のため」とか言っちゃっている人も、なんのことはない、自分のためにやっていること。要するに、エコではなくエゴなわけです。
エコ活動を批判しているわけではありませんよ。環境は大事。人類にとって大事なことなので、我が家もできる限りのことはしております。ただ、エコだの環境だの言う前に、言葉は正しく使いましょうねっていう話です。

お菓子のあり方 4月某日 晴れ

某お菓子メーカーの取材。
社長さん、専務さん、営業部長さんなど、そうそうたるメンバー対私という非常にアウェイな状況で、「お菓子の未来」について聞かせていただきました。
さて、取材を終え、みなさんと雑談していたところ、話題は「お菓子の健康ブーム」へ。体にいいものをお菓子に配合して、美味しく健康になっちゃいましょうみたいなノリが流行りっていう話です。
このメーカーさんが素晴らしいのは、そういったお菓子を「邪道」と言い切ってしまうところ。曰く、「お菓子を食べて健康になろうなんていうのは、考え方としておかしい」。
お菓子は、戦後で食べ物が不足した時代に、「甘い」「美味しい」ということで世の中に受け入れられてきました。おやつとして子供たちの健康にも貢献してきたそうです。そういう事情を知る老舗メーカーの言葉は、ダイエットコーラの価値を認めていない私にとって実に壮快でした。

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ライター 伊達直太

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